写真と記事内容は無関係です笑
たまには毛色の違うネタを。
東京2020に向けて
っちうお題目で、「日本に外国人旅行者が大挙して押し寄せるから、◯◯!!!」と声高にあれこれと出てきて、それにいろんなカネが投入されております。
いや~いいっすね、看板の多言語化でガッポリ儲かるっすよ!(俺も看板屋になりてえ!)
っちう特需に沸く人は良いでしょうけど、いつも言葉に立ち返る必要があるでしょう。
それは必要なのか?
オリンピックの一時的なものくらい、チケット買った時に場所案内のサイトにでも導けば良い。Webならそのコンテンツを多言語化しなくても、そのまま機械翻訳できる。だいたい通じる、そんなもんだ。なので、言い回しとか平坦な?感じの日本語にする必要はあるけど。
看板とか目に見えるモノを多言語化するだと?無駄だ、無駄。
日本の悪い癖
一時的な特需や、その時だけの補助金で「ブースト効いてでかいお買い物できる!今なら!」みたいなの多すぎやろ。維持できんやんどうせ。
オリンピックなんか一時的なもんだし、基本的に東京と周辺以外は無関係みたいなもんだ。そのためにどんだけカネ使う気だよ、、、。
「ちょっと高尾山登ってくる」ために、全身アークテリクスとかで固めて数十万円かけて、それ以降登山なし。みたいなもんだろう。無駄無駄、もっと金をかける価値があることはいっぱいあるぜ。
海外に行ったときどう思うかを考えれば分かる
例えばカッパドキアに行った時、サグラダ・ファミリアを見に行った時、グランドキャニオンに行った時、まわりに日本語の看板いっぱいあったら萎えませんか?
いや~俺は萎えるね!あっちいけこっちいけ、そこが見どころだ、と微妙な日本語看板あったら嫌だわ。まぁ嫌じゃない人がいっぱいなのかもしれんけど、、どうなんだろ。
雰囲気ぶち壊しにせず、ハードよりソフトで対応できるところはそうしたほうがいい。多言語化によって看板とかばっかりデカくなっては、面白みが全く無い。
なので、日本語のアルファベット読みを併記する、という程度でええんでないの。
どうなのよ。
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